お金には金色に光ったものと、そうではないものに 分けられている
ほかの人に喜ばれる行為を行い、その感謝の証が金色の紙幣である、少ない金額でもかまわない 金色のピカピカに光った自分の勲章でもあるお金を、少しでも多く持ちたいものである。そしてこの金色の感謝紙は死後の世界でも通用するものとなる、永遠の感謝を得た証でもある。
いっぽう、そうではない汚い色のお金、それはどんな行為をして得たお金であろう、賭博 所謂ばくちで得たお金、支払い側からの感謝の気持ちは何一つ含まれはいない、騙し取ったお金、FXなどの相場で得たお金、盗んだお金、借りたお金 などなどであろう、これらの汚いお金は さらに金色のお金を貪り食い、本当の意味で得るべきである取得行為を邪魔する邪悪なお守りとなってしまう、しまいには まともにこつこつ苦労して稼ぐことなどが 愚の骨頂に見えてくる精神の病を引き起こす毒となる。
実際、汚いお金をたくさん所持し、威張り腐って 人間的な魅力も 他人への愛情も消えた壊れた金持ちはご覧のとおりまわりにごろごろいるはずである。会社ぐるみで、だまし取る詐欺集団もあれば、一人で何十時間も大切な時間を相場の金儲けに熱中している金の亡者もいる。
ゴルフで言う あがって何ぼ 人生も一緒だ、最後の瞬間を迎えた後に、真実は身につまされる思いで神々から言い渡される、意味のない感謝もされない金集めに後悔のときは必ず訪れる 何も怖がらず、たとえお金儲けが出来なくても、神々の前でどうどうと胸を張って生きてきた生き様を大きな声で叫べばいいと思う!
お金はただの紙切れ、問題はどのようにして得たか?
そして どのように使って納得できるのか? ではなかろうか?
「 お金の存在価値 」
地球よ! 人類よ!
いつまでも青く輝け、!

ありがとう ございまあした。
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