人はそれぞれ何らかの使命を受けてこの世に生を受けている そしてその使命は自分では気がつくすべもない いつの間にか無意識に進むべき道へたどり着くことにはなるだろうが 自分の使命 天命 それを全うすることができればこの上も無き感激の人生となりうるだろう
最も心がけなければならないこと
人々のために一生懸命にやって 満足していただける
次に心がけなければならないこと
人々のために一生懸命やって でも不満足に終わった
いずれにしろ 使命天命とは自分がこの世に生を受け社会貢献へ向け やらねばならぬ 成し遂げなければならぬ大きな宿題 あの人がやってるから わたしも あの人もやってるから わたしも と 自分の使命や天命から遠ざかり、資本主義社会のこの急な坂道を必死にあがきながら頑張っている人たち
時には、その一つ一つの行為 業が人を傷つけたり 故意に騙さざるを得ない 時には、資本主義の悪の根源 真っ黒な汚いお金を追いかけ 楽な道へ いい例が あの彼女たち 親 兄弟が見たら、近所の人が見たら その時のお金欲しさで何十万人もの先祖から授かった裸体はさらされ そしてその裸体を楽しむ結婚できない独身男性たち
なんと悲しい世に変わり果てたのであろうか?
つまり 一般的風習 当たり前に見えてしまう習慣 悲しい いっぽ客観的に 冷静に当たり前にある目の前の光景を見つめ直すことはとても大切なことであり、良くないことはよくない いやだは、いや とはっきりとした明確な拒否行為をしなければならないと 僕は思う! 習慣 通例とはこれほど恐ろしいものなのかもしれない 募金? そんなのはお金に余裕のある人がやればいいんだ がそれぞれの見解であろうが、全く反した思い違いである
僕らがこの世で生きていられるのは99.9%他人様のおかげがあってこそ生きていられるのであり、水道の蛇口をひねれば水が出て、ちょっと歩けば自動販売機で コンビニで スーパーでなんでも手に入る 便利になり過ぎてしまった都会生活 その環境はすべて他人様のおかげでしょ? タイの田舎の人たちは 水道も都市ガスも電気さえ来ていない家だって山ほどある なのに どういうわけか他人様を身内のように優しく微笑んで支えてくれる 当たり前のようにある目の前のもの ひとつでも亡くなった時に初めてわかるそのありがたみ という言葉が その時身にしみる瞬間だろうと思います
まして同じ国の同じ日本人が しかも震災で両親を亡くし家をなくし 友もなくした幼い子供たち その子供たちの心情をも思いやれる人が どれだけこの国にいてくれるんだろうか? 募金活動とは人間の人としての社会へ感謝の意味を込めての義務 わたしははっきりそう言い切れる 一人ひとりがそれぞれのルールで生きているのもいいが、いざ自分が被害者の立場になったとき 全国から世界から心ある人たちに集められた暖かいお金で助けられたら 涙が止まらないほど感謝するでしょ? 人がこの世に生を受けての一番の勲章は他人様からの感謝の意
堂々と死を迎えた時に神々に胸を張って意見が言える様な人生を送りたいと、皆様方にもそうなって欲しい 社会貢献こそとても大きな皆が忘れかけている大切で 暖かい義務だとぼくは昨今痛烈に思っております!たとえ 10円でも100円でも毎日 コンビニの募金箱へ入れてらっしゃる姿を見て神々しく見えてしまうこと自体が もう心なき世 悲しいです
今日という日は残された限りある人生の始まりの日でもあります
手と手を取り合って 助け合って生きていきませんか?
地球よ! 人類よ!
いつまでも青く輝け、!
ありがとうございました。
心の平和は「一人でいることが好きなこと」
心の修行は「悪人の毒で災難に会うこと」
心の大切さは「良心に従い生きていくこと」
と思います
人生とは他人のために生きていく航路
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— いつまでも青く輝け!☆彡 岩満志朗 (@clubmed0707) 2014, 9月 17
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